母の命式とインナーチャイルド

目次

人の一生に影響をあたえるもの

人に影響を与えるのは、次の3つの要素です。
3分の1は、生まれた日による宿命
3分の2は、人や環境、そしてその人の選択。

生まれてくるのは、本人が選んでるって説もあるけど、あとからは変えることができません。
でも、あとの3分の2は変えることができる。

待って待って~。じゃあ、変えることができない3分の1は知る必要なんてないじゃん。
って思って当然なんだけど、そうじゃない。

生年月日からわかる自分の特性を知って選択するかどうか、これが大きい。
例えば、短距離が得意な筋肉を持ってても、長距離を「選択」していたらもったいないったらありゃしない。
よりよい選択をするために、算命学で自分の星を算出しました。

美猫先生より

私の宿命と違和感

私の陽占はこれ。

ん?
自分はずっと神経質で、過去のことをうじうじ考えて気にする、規則を守らないと許せない人間だと思っていました。
そして、そうやって嫌な奴として生きてきました。
けど、ずっと言葉に言い表せない鬱屈した感情や違和感がありました。
そして、そんな自分が大嫌いでした。

母の命式

母の命式

甲(こうぼく)

大樹の人
あなたは、一年に一つずつ年輪を刻むように、ゆっくりと着実に天を目指して伸びていく樹木です。一本筋が通っていて正直者で真っすぐな気質を持っています。
マイペースだけど、ゴールまで粘り強く突き進む大器晩成の人です。コツコツ頑張ることが成功を手に入れる鍵です。

甲戌

素朴でつつましい雰囲気を持つ、ピュアな心の持ち主です。いつも控えめで愛らしく、おとなしいけど周囲が何かと気にかけるような存在感があります。
用心深いですが、甘え上手でもあります。
感受性が豊かで、ロマンティックな方です。
人見知りで、交友範囲は狭く、好き嫌いも激しいほうですが、一度打ち解けた相手とは長期に渡って関係を続けるでしょう。

甲で中心星が牽牛星

プライドが高く、責任感が強く、几帳面。「あの人なら安心」と人々から信頼を得られます。知的で礼儀を重んじ、どんな世界や立場にあっても手堅い人気や評価は得られるはず。少々堅苦しいとこはありますが、誠実な持ち味は必ず実を結ぶでしょう。

申酉天中殺

行動力が抜群で、そのパワーは政界か実業界に向くほどです。親の恩恵を受け、その家を継ぐこともできます。
家庭での安住の場がないとされていて、それを外への行動で補おうとするので、大いに働きいつも多忙です。
天中殺の方はぶれが大きく、十二年間の間で天中殺以外にもう一度運気の落ち込みを経験します。

牽牛星が3つの偏星

自尊心と自負心が強すぎて、周囲と融和しにくくなります。一芸に通じるとか、自分独自のものを身に着けるとよいでしょう。

位相法で観る

◇未戌の庫気刑
庫気刑は、親との争いや目上との争いをもたららす「支」同志の組み合わせで、一名北方刑ともいいます。
庫気刑が「命式」内にあればもちろんのこと、「命式」と大運や年運との組み合わせの中に出た場合には、目上の人や上司と争わないよう、最大限の努力を払うべきものとされています。

◇未戌の破
「命式」内に現れる「破」そのものは、それ自体で強くて大きな作用を起こしませんが、「害」、「刑」、「対冲」などの他の散法と重なると、働きが大きくなります。
「破」とともに現れることによって一番強い作用を受けるのは「害」で、次は「刑」、三番目に「対冲」です。

◇酉戌の害
次の形で身体に現れます。
三焦系
三焦は臓腑の中では少しイレギュラーな存在です。他の臓腑と異なり、三焦は「名あって形なし」と言われています。三焦は、組織や器官以外の間隙すべてであり、気や津液の通路であり、臓腑を包む全身的な機構であるとされています。

ノイローゼ

自律神経失調症

など

生月天中殺

社会、時代の座に現れる天中殺

時代の流れに乗って変化する仕事には向きません。社会に迎合しない古典的な仕事や、伝統的な仕事がよいでしょう。

母の人生

親との関係

母が亡くなる数年前に教えてくれました。最近あることが蘇ってきたんだと。それは小さいころおばあちゃん(母からはお母さん)からひどいことをされていたと。

ほんとにちっちゃい頃親戚に預けられていて、誰も相手にしてくれなかったから、ずっと海を見ていたんだと。
そして、おばあちゃんからは濡れた洗濯物でぴしっぴしっと鞭のように叩かれていたって。
友達と遊びに行くときには、必ず妹を連れていかされて、友達についていけなかったって言っていました。

ただ思うのは、そういう時代だったのではないかな?特別不幸な境遇だったのではないんじゃないかな?
親戚に預けられていたのも、妹が何人も生まれたからじゃないのかな?

大事なのは、母がそう思っていた、ということ。

家族

子供心に、家族って仲が悪い(当時は悪いという自覚もなく)もんだと思っていたというか、人は悩むもんだと思っていたと言いうか、とにかく家庭は暗かった。

母は父の悪口を常に言っていた。妹たちの旦那さんが一流企業にお勤めの人が多かったのに比べて、職を転々として、議員さんか誰かのちっちゃなコネで工場に働いていた父。そりゃあ比べれば悔しかったのかもしれない。お見合い結婚だったしね。

そして今から思えば、一番私たちを悩ませていたのは、母の独り言で、何年も何年もそれを聞かされて麻痺はしていたとは思うけど、おかしくなっていたのかもしれません。

母は内職で工業用のミシンを使って布団カバーを縫っていました。工業用なのでとっても大きな音がする。
その音がしている間、「死にたい死にたい」って独り言を。もう完全に癖になっていて、私たちもそんなもんかと思って育ってきた。考えてみたら当たり前のはずがないわ。子どもの成長に影響を及ぼさないわけないよね。

社会と母

高校を卒業してから保険会社に就職したけど、寿退社。あの時代はみんなそうだった。そして私と弟が生まれ、育児に専念していました。

育児が一段落して、近くの工場で働き始めたけど、機械が落ちて来たのか挟まったのか詳しくは聞いてないんだけど、指を怪我してしまい、変形してしまった。今考えたら、すごくすごくかわいそうだったね。

子育てに関しても、悩みが多かったと思います。

まず私に関しては、低身長でずっと病院に通っていました。宿泊しなければ行けない遠くの大学病院にも行った。けど、私の体の数値の関係で有効な治療法が見つからず、親としてはつらい日々だったと思います。
これは、成長してから思ったことなのだけど、同じくらいの身長の人でも、気にせず明るく生きている人もいます。

弟に関しては、低学年の頃、いじめられていました。相手の親のところに怒鳴り込んで行ったり先生に相談したりと、かなり激しく動いていたと記憶しています。

そして、私が結婚で家を出た後、母は宗教にはまっていまいました。よく世間を賑わす系の有名な団体。入って最初の頃は、人が変わったように明るくなったのをよく覚えています。でも、今までがとてもネガティブな人だったから、無理してそう考えようとしているんだろうなあというのがすごくすごく感じられました。

そして、晩年は、血管系の病気で3度入院&手術。3度目の心筋梗塞の緊急手術の後、多臓器不全で亡くなりました。

亡くなる少し前に、「つまらない人生だったけど、いい子に恵まれたことだけが幸せだった」と言ったことが忘れられません。私は母にもっと何かしてあげられていたのかなあ。

50歳までの私

子供の頃の私は今と変わらず、お友達を作るのが苦手でした。今でも鮮明に覚えているのが、母からご近所の子たちと遊んできなさいと言って家を出されたのに、行きにくいから弟と二人で、近くの興味をひかれた場所で楽しく遊んでいました。そうしたら母が鬼の形相で「〇〇ちゃんと遊んできなさいと言ったじゃない!」怒鳴ってきてびっくりしました。

母としては、お友達ができないことに苦悩していてなんとか近所の子と仲良くさせたいの一心だったと思うけど、結果的にずっと「自分はお友達ができない子」って刷り込まれてきたような気もしています。これってインナーチャイルドって言うのかな?

小学校4年生で転校し、転校生として紹介された初日にいじめられて泣かされたこと、担任の先生と相性が悪かったこともあって、ますます暗くなり人と話すのが怖くなったと記憶しています。

それまでは、引っ込み思案であったけれど、学校は嫌いじゃなかったの。小学校3年生の通知表には「人懐っこくて可愛らしい子です」と書かれていたし、先生も大好きでした。

4年5年6年は、なんとその大嫌いな担任がずっと変わらなかったこともあり、学校は大嫌い。
通知表にも「素直さに欠ける」みたいなことが書いてあったことを覚えています。
今考えると、初年期の天禄星のためだったのかなあ。
きっと、何かを悟ったような顔が先生には若くて新任の男の先生には気に入らなかったんだろう。
考えてみたら、通知表って酷だよね。嫌なこと書かれてずっとずっと覚えてて刷り込まれてるんだもん。

そして、前述のように、低身長を治療していたこともあり、人からは見られる。とびぬけて小さいから当然スポーツもできない。人とも話せない。最悪な子供時代だったのかもしれません。

ただ、勉強だけはできたことが救いだったかな。

それからはずっと、コミュニケーションが苦手を引きずっていて、やっぱり集団は苦手。人からも注目されたくない。いやはや、インナーチャイルドってやつは、手ごわいなあ。

どうして前向きになれたのか?

マヤ暦との出会い

「マヤ暦」は、朝ヨガをYouTubeでライブ配信している方がヨガと一緒に発信していてたまたま知りました。

そもそも、何故朝ヨガをしようと思っていたかというと、YouTubeで生活雑貨を検索していたら、安東英子さんという、美しい空間プロデューサーの動画を見て、「家をすっきりさせたら気持ちいいんだな」って思い始めて片付けたら、ヨガマットを敷きたくなり、そこからなんだな。

安東英子さんもおっしゃってるけど、お片付けすると開運になるって、絶対に絶対に本当だと思う。頭もクリアになるし、何と言っても朝起きたときにお部屋がきれいってほんとに気持ちがいい。これがメンタルに悪いはずがない。お片付けが、「マヤ暦」から始まるシンクロを引き寄せたんだよねー。

それからは、「シンクロ」「引き寄せ」「潜在意識」なんて言葉を意識するようになり、猫のたんたんや、色んな色んな出会いを引き寄せることができているような気がします。

算命学との出会い

そもそも、「算命学」という言葉すら知りませんでした。

投資に興味があって、「リベシティ」の一番安い会員になっていたことがあって、その中で何故だか「占い」のコミュニティがあったのだけど、そのチャットの中に「美猫さんという方が、算命学を格安で教えてくれます」と」いう情報が書き込まれていたの。

とりあえず見てみると、美猫先生は私が求めているような発信をされている方で、元職も自分に関係がある会社だったりしてそこも目を引いて、お試しの算命学鑑定をお願いすることにしたのです。3000円だったし。

「算命学ってご存じでしたか?」から始まり、ZOOMで会話が進むうちに、算命学を初級・中級・上級とまとめて申し込むことができると営業活動され、その場でお願いしてしまいました!

私の日干は「庚」さんなのだけど、まさに即決。庚さんらしい早い決断でした。
美猫先生も、「庚」さんはそうなんですよねーとおっしゃっていました。

最初にも書いた通り、私と母の命式は全く違います。

母は、牽牛星が3つの偏星。牽牛星はまず規則や規格通りに動くところに特徴があります。
そして私は、龍高星が3つの偏星。龍高星は、革新のエネルギーを持っています。
全く違う。

でも、若い頃の私は、娘はお母さんと同じような人生を歩むと思っていたし、結婚しても母のような家庭を持つと思っていました。なので、いつでも離婚できるように一生働くと決めていました。

全く違うのに。。。こんな考えに縛られていた私。

母の命式を見て、理解できました。身長もその他の外見も規格外だった私。心配だったというか許せないものもあったのかもしれません。私が色が黒いのを嫌がって、糠を塗り付けてきました。プライドや権威を大切にする牽牛星にとっては、社会的にも権威がない、子供は規格外。葛藤が大きかったのだろうな。

母の影響もあったのかもしれないけど、私が就職したのは半分公務員みたいなお堅い会社です。選んだ理由は、あの当時珍しかったおばさんが働ける会社だったから。一生働くと決めていた私は、そこが一番のポイントでした。
でも、今になって分かるけど、合っていなかった。なんて言ったって、改革の龍高星が3つもある私。
古い慣習を変えたくて仕方がない。でも、歴史のある会社だからそんなに簡単に変えられるはずがない。しかも、当時は女性はお茶くみしてればいい時代でした。あってるはずないよね。
ずっとずっと、「自分は性格が悪いからなのかな」「何で黙って従えないのかな」「女の子だったら、にこにこ言われたことだけしてたら可愛いのに、なんでできないの?」って思っていました。いや今でもそうです。

けど、自分の命式を知って、理由が分かりました。これってすごく大きいことで、「仕方ないんだな」って自分を受け入れることができる。

算命学との出会いは、私の葛藤を半減させてくれています。

オステオパシーとの出会い

依然と比べたら随分心が楽になった理由が、マヤ暦や算命学のような不思議な力がきっかけだったのかなあと思う反面、オステオパシーの効果も忘れてはいけないのかなと思っています。

オステオパシーとは、アメリカ発祥でもう150年くらい歴史があるきちんとした医療の手法みたいなんだけど、日本では医師会をはじめとする医療ピラミッドのために、なかなか広まらないみたい。イギリスに住んでいる知り合いに聞いたんだけど、イギリスではオステオパシーの方が産後とかに定期的に巡回してくれるんだって。いいなー。

私は、もう何年も通っている美容院の美容師さんに教えてもらって通うことになりました。美容師さんのばね指で、他で手術しないと治らないって言われたものまで次々に治してしまうんだと。美容師さんも信用できる方なので、さっそく予約し通い始めてもう2年くらいになります。

治療としては、寝てて痛いこともしないのに、なんか姿勢がよくなってきている、って感じで、説明ができないんだなー。
でも、確実に、ストレートネックや猫背がよくなっています。顎関節症も治った。O脚も道半ばだけど、隙間は半分くらいになりました。

オステオパシーの先生とはとても気が合って、コロナやワクチンの話なんかを気兼ねなくするのだけど、コロナの3年間で前向きな人とそうでない人の差がはっきりでできていると。そして、首のゆがみを治すことでメンタルにいい影響があるって人が多いんだと。

マヤ暦で私は明るくなったって思ってたけど、姿勢の影響もあるのかもしれないなー。

様々な出会いと気づき

50歳を過ぎてこんなに前向きになれているのは、今まで書いてきたようなことがあるけど、その他にも色んな色んな要因があります。

まずは、筋トレとの出会い。女子って筋トレ大嫌いじゃないですか。フィットネスに行っても、ヨガやダンスをしている女子が多いですよね。「腕立て伏せ?無理無理」ってだいたいの友達は言います。

けど、生きていくのに必要なんだとDr.石黒の「医師の体育授業」で教えてもらってから、戦略的に毎日の習慣にするように動き、一年以上たった今、人生で一番スタイルがまとも?って思えるくらいになってきました。
そして、運動ってメンタルにもいいんですよね。

鏡で見た自分にそんなにストレスじゃない。動いてメンタルにもいい。
そんな日常の小さなことがいい影響を及ぼしていると思っています。

まとめ

前述の石黒先生が

人は、出会った人の平均値になる

と仰っていました。
さらに自分なりの解釈を加えると、出会った人×時間 を足した平均値だと思っています。

ということは、時間が長い分、親の影響が最も強く、親元を離れるとだんだん薄まってくるということ。
インナーチャイルドと言われる部分は、子供の頃に影響を与えられたうちの一部分なんだろうなあと思います。

自分に大きなダメージを与えるのは、親だけじゃなくて先生の一言だったり、大きな失敗だったり様々な要因がある。
脳に深く深く刻まれて、自分の中で想像の世界の産物になって増幅されているのかもしれません。

出合った人の平均値だとすると、インナーチャイルドを薄めるには、違った価値観の人にたくさんたくさんあって薄めるしかない。逆に薄められるんだなーと思います。

まとめとしては、だからこれから出会う人は大切なんだなということ。
そして、出会った人の価値観の自分への取り込み方。当然、嫌な人や価値観が全く違う人と出会うし、かかわりを持たなければいけません。その時に何にフォーカスするのかを意識して行動していたら、薄まり方がいい感じ?になるのではないかなあと思っています。

人生100年時代。まだ半分じゃん。さて、これから何をしようかな。

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