算命学鑑定士&マヤ暦アドバイザーをしています
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他の人の頭の中はどうなってるの?思考とインナーチャイルド。
「他の人の頭の中はそうなっているんですか?私は常に、過去の失敗や嫌なことばかりがぐるぐるしてます。みんなそうなのか、そうじゃないような気がして不思議なんです」
朝ヨガとマヤ暦を一緒に発信している方をYouTubeで見つけ、その方が「トラブルの原因はほぼ、インナーチャイルド」と仰っているのを聞き、初めて「インナーチャイルド」という概念に出合い、その方のセッションを受けたときに私が最初に聞いたことです。
私は、電車の中で一人になったりとか、勉強のために本当は集中しなければならない時なども、ほぼ頭の中は嫌なことであふれかえっていました。過去の、それこそ、もう十年以上前のことだったり直近のことだったり、色んなことがめぐるのではなく、まるでテーマが決められているかのように集中的に繰り出してくる。「嫌な記憶を消す方法」なんて本も読んだことがあります。それをなんとかしたくてセッションを受けました。
その先生は、「それは思考の癖ですね」と。まずそれに気が付けただけで変わりますよ、と。そしてその思考がどうして出てくるのかは幼少の頃に原因があることが多い。それがインナーチャイルド。確かに自分は、内気で友達も少なく、小さいころのことと言ったら嫌なイメージしかない。自然と昔のことと向き合うようになっていました。
子供の頃のことを思い出すと、コンプレックス・ネガティブしかなかったんじゃないかというくらい真っ暗だったんじゃないかと思えるんです。そうかといって、親には十分愛情をかけてもらってたと思っています。じゃあ「なんでこうなった?」
ネガティブな原因は、やっぱりお母さんかな。人間は愚痴を言うもの。むしろ愚痴しか言わない生き物だと思っていました。お母さんは、内職でミシンをしながら「死にたい死にたい」と独り言を言うのが癖でした。そうかといって「死にたい」ほど不幸だったかと言えばそこまでじゃなかったから、単なる「癖」なんだろうけど、今思えば、子供からしたら迷惑な癖だったなと思います。でも、子供の頃は、なんとも思ってなかったな。悪い影響しかなかっただろうけどね。
あと、お父さんとお母さんは仲が悪いものだと思っていました。それが普通だと思っていたから、友達の家に行ったときにお父さんとお母さんが子供の前でキスをしていた時は、「何が起こったんだ?」と本当にびっくりしました。それから、「お母さんは家の中では太陽みたいな存在だよね」って友達から言われたときに、????全く分かりませんでした。「死にたい死にたい」。お父さんの悪口、「お金がない」朝から夜まで内職、うちのお母さんは太陽にはほど遠かったから。
私の身体的特徴も、ネガティブな原因に十分なっていたと思います。低身長で治療を受けていたから。大学病院に小学校の頃から通っていたけど、どうしようもなくて、すごく遠くの大学病院に行って薬をもらうようになって少し伸びたけど、インターネットがない時代に、女性雑誌か何かで調べて遠くの病院まで連れて行ってくれたことは本当に感謝しています。小さいころから、背が低いことで興味本位に見られていたことがかなり性格の形成に影響しているんじゃないかなと思っています。
勉強は割とできたほうだけど、「私なんか」という気持ちしか持てなかったな。
紋章と自分
マヤ暦では、紋章通りに生きていると幸せだと言われています。私はキン72の黄色い人・白い世界の橋渡し。まさに自由を好む人。けど、「自分なんて」という枠をはめ、できない自分を正当化してきた人生だったのかも。会社も公務員みたいな社風の会社に入り、前例通りに仕事していればよくて、何かを変えようもものなら速攻たたかれるという環境に長いこといます。現在も。自分はごくごく常識人で、普通で、目立たなくて、注目されたくなくて、そのくせ、何かおかしいことがあると言わずにはいられない葛藤の中にいました。
自分の紋章が分かってから、「だから苦しかったんだな」ということが分かり、霧が晴れたようになりました。人間、何かが解消したわけではなくても、原因がわかると安心するって聞くけど、まさにそれ。
52才でマヤ暦に出会ったのは、紋章通りに生きなさいって言われてるんだと思って、誰がそうしろって言ったわけでもない枠を少しづつはずしていこうと思ったのです。
びっくりするようなシンクロの数々
何と言っても一番の大きな変化は、タンちゃんとの出会いです。ブログにこの名前を付けたのも、マヤ暦と出会っていなかったらタンタンとも出会っていなかったということ。
タンちゃんを譲ってくれたのは、ある鍼灸師さんです。何かの団体とかではなく、個人で保護猫活動をされている方で、もう30件くらいお話をまとめています。
私との関係は、患者と鍼灸師さんの関係で、彼女が違うところで働いていて独立されるときに一緒についていったのです。とても腕がいいので、何年間かお世話になっていましたが、私の転勤とかもあって通うのに1時間くらいかかる距離になってしまっていました。そんな時トラブルが発生。予約時間のミスです。治療に行ったら不在。何回電話しても出ない。私は一時間かけてきている。どうしてもお願いしたい。でも電話に出ない。もういいや。
そうしたら、次の週の同じ時間に「どうしたんですか?」と電話が。一週間、間違ってたのですね。診察券の裏には、彼女の字で日付と時間が書いてあるわけなので、明らかに彼女のミスなのに謝らなかった。間違いは誰にでもある。でも謝れよ。そんな怒りで、それを相手にぶつけることなく、「もう行かない」という選択をしました。そして、もう何年も年々もそんなことは忘れていました。
もう何年たったか分からないくらいたって、彼女の鍼灸院がインスタのおススメに入ってくるようになったんです。ああ、独立したけど、順調にやってるんだなーと懐かしく思いました。そのころたまたまマヤ暦の発信をみるようになり、「怒りを手放す」というタイトルだった時があって、「私の手放さなきゃいけない怒りって何だろう?」と思ったときに、その時は忘れていたけど、「それだ!」と思い出しました。そこから、すぐに鍼灸院を予約し、再度治療に通うようになったのがきっかけです。
鍼灸師さんは、私が読みたいと思っていた易経の本をたまたま持っている奇跡があり、その他も書ききれないくらい色んな知識や出会いを提供してくれます。私のメンターではないかと思っています。年下なんですけど。そのふんわりした不思議な彼女のところから我が家にやってきてくれたのがタンちゃんです。
もうひとつの奇跡的なシンクロは、転校初日に私を泣かせた相手から、51歳の時に謝られたこと。よくよく思い出してみると、その日に何で泣かされたかというと、私がある男子と目が合って「できてる」って言われたことだった。ほんとに今考えるとくだらないことなんだけど、自分がそんなつもりはないのに、人からからかわれるような行いをしてしまっていたことがショックで、翌日から人と目が合わないように下を向いているようになり、そこから自分の陰気生活が始まったような気がします。マヤ暦のセッションの時に、小学校2年生のことを思い出してみて、と言われ母がとっておいてくれた通知表を見ると、「人懐っこくてかわいい子です」と書いてありました。転校してからの私は決してそんなキャラではなく、4年から6年まで担任だった先生にも目の敵のような扱いを受けていたので、転校前にそんなことを書いてくださっていたのかと思うと、衝撃でショックでした。そういえば転校する前は学校は楽しかった。
そうなるきっかけを作った泣かせた相手が、なんと謝ってきたのです。しかも51歳の時に。私は転校初日だったから、誰から泣かされたのかも知らなかった。「あなただったのね」という感じでした。それだけではなくて色んなことが重なって自分のネガティブな性格形成につながっていったのだと思うけど、これは神様が「原因は分かったよね?」って言ってくれててるんだと思って、もう捨てよう と思いました。
本来、「白い世界の橋渡し」さんは、コミュニケーションの達人。色々あったけど、本来の紋章の姿に戻って、ほんとの自分はこうなんだと自己暗示をかけるようになりました。
そうすると不思議なことに、こんな友達付き合いが下手な私に、「友達おおいよね」とか「みんなあなたに相談するよね」とか「まとめるのが上手ね」とか、ありえないような言葉をかけてもらえるようになりました。こうなってくると自分も気持ちよくなり、調子にのって新しい私を演じています。これが無理しているのだといけないので、自分自身を観察しつつ、過去の自分を完全否定するでもなく、バランスよく自分と向き合っていけているような気がしています。
これはプロフィールと言えるのか????
まいっか